人生のコンボはたまに入るから楽しくなる
〜めくりからのしゃがみ中キック→大パンチ→キャンセル昇竜裂破とはいかない〜
人生は格闘ゲームのような確実で完璧なコンボを決めることはほぼできない。
50年生きてきて、決めたことある? と言われれば
決めた記憶はまったくない。
どこかでミスっている。どこかでガードされている。そしてどこかで反撃をくらっている。
なかなかうまくいかないのが人生だ。
現実の人生は「差し合い」と「ミス」の連続
現実は「めくりジャンプ」を読まれて対空技で落とされるか、せっかくのしゃがみ中キックをガードされることばかりだ。それどころか、緊張のあまりコマンドを暴発させたり、大事なところでボタンを押し間違える(=予期せぬトラブルや体調不良)ことのほうが普通だ。
現実の人生における「コンボミス」
完璧に準備したプレゼンなのに、当日機材が動かない
緻密に組んだスケジュールが、たった一つの急用で崩壊する
「これをやれば成功する」というノウハウ通りに動いたのに、まったく当たり判定が出ない
人生は、コマンド通りに動かないキャラクター=自分を必死に操作しながら、あたり判定の確認すらままならない泥臭い「差し合い」を延々と続けるゲームなのだ。
なぜ完璧なコンボばかりを求めるのか
格闘ゲームは技の出し方の再現性を覚えてしまえば、コンボは簡単に再現できる。相手の背後に飛び込む「めくり」から、しゃがみ中キック、立ち大パンチ、そして鮮やかなキャンセルからの超必殺技・昇竜裂破へ

私たちは日常生活や仕事、あるいはキャリアの設計においても、つい「完璧なコンボ」を求めてしまいがちだ。
「40代でこれを学び、この資格を取れば、こうキャリアアップするはず」
「この通りに仕組みを作れば、確実にこの結果が出るはず」
しかし、現実の人生は、そんなに甘くはない。
「たまにコンボが入る」から、この人生は最高のステージになるんだ
では、人生というゲームはクソゲーなのだろうか? 答えはノーだ。むしろ、その逆だ。
もしも人生が、ボタンを押せばいつでも100%の確率で「めくりからの昇竜裂破」まで繋がるゲームだったとしたら、私たちはすぐに飽きてしまうはずだ。再現できることはワクワクしなくなるのだ。最初から結果が約束されたコンボを繰り返すだけの作業に、感動は生まれない。
人生が最高にエキサイティングなのは、「基本的にはガードされたり、コンボを落としたりするけれど、忘れた頃に、信じられないほど綺麗にフルコンボが繋がる瞬間があるから」だ。
泥臭く続けた日々の小さな努力が、ある日突然カウンターヒットする。
そこから意識せずとも体が動き、次の行動、その次のチャンスへと繋がり、最後には思いもよらない大きな成果へと結びつく。
あの、すべての歯車がカチリと噛み合って「コンボが入った!」と脳汁が出るような快感。それがあるからこそ、私たちは何度ガードされても、ゲームをリスタートすることができる。
人生はたまに繋がる「奇跡のフルコンボ」で脳汁が出る瞬間」と、人生の「思い通りにいかないからこそ面白い」という深みを掛け合わせだ。
人生は、打率10割のコンボ職人を目指すものではない。 大切なのは、コンボをミスしても「ま、人生なんてそんなもんだよね」と苦笑いしながら、次のコンボを気楽に狙い続ける気持ちでいることが大切だ。





